大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和35年(ネ)326号 判決 1963年11月04日

判   決

小樽市豊川町二〇番地の一二

控訴人

宗教法人神道

(登記簿上の表示小樽市豊川町三一番地神道)

右代表者代表役員

麻生昌孝

右同所

控訴人

麻生昌孝

右両名訴訟代理人弁護士

中島一郎

右同所

被控訴人

神道大教小樽三吉中教会

右代表者主管者

渡辺鉱之助

右訴訟代理人弁護士

杉之原舜一

右当事者間の家屋明渡等請求控訴事件について、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決中、控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上・法律上の陳述、証拠方法の提出、書証たる文書の成立についての陳述は、次に記すほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人ら主張)

(一)  先に、原審において「昭和二四年一〇月一七日の信徒総代会議で中教会の訴外法人からの離脱および他の三教会との合併が決議され、これに基き昭和二五年一〇月三一日右離脱の意意表示がなされ、同年一二月二三日中教会および他の三教会を合併して控訴法人が設立され、その設立登記がなされた。中教会は右合併に際して解散され、本件建物所有権はじめその財産一切は右控訴法人に承継された。」および、「当時中教会には離脱・合併・解散等につき準拠すべき特別の規定はなかつた。」とそれぞれ陳述したのであるが、右の中、合併により承継を生じたとの点および合併につき特別の規定なしとの点は、いすれも事実に反し、錯誤にもとづく主張であつたから、これを取り消す。

(二)  本件合併は、吸収合併であつて、その前後を通じ、宗派・祭神・祭祀行事・主管者・信徒・信徒総代が同一であり、合併によつて新法人が新設される場合のように、実体の同一性が失われるわけではない。信徒総代会では、合併決議はしたが解散決議をしたわけではなく、中教会は解散したのではないから、民法の法人の規定を適用する余地はない。結局合併の前後で権利主体は同一であるから、権利承継は生じない。

(三)  残る問題に、訴外法人から離脱したこと、右のような吸収合併をしたことの根拠であるが、前者は信教自由の原則上、教団主管者の同意は不要であるから、信徒総代会の決議で足りるこというまでもないし、後者は、別段信徒総会を必要とせす、信徒総代会で足りるとすること既に慣習法ないし事実たる慣習であつたといいうるのみならず、実際にも合併・解散については「神道大教小樽三吉教会規則」なるものが存在したのである。これは、昭和二二年五月控訴人麻生が中教会主管者を命ぜられた後起案し、同年一〇月一七日総代会の同意を得て即日施行せられたものであつて、これによれば、合併ないし解散については、総代の同意を得れば足りると定められているのである。本件では、脱退の意思表示後、信徒総代会の決議がなされたのであるから、脱退・合併とも適法である。

(四)  かりに、右合併が無効であつたとしても、被控訴教会は、中教会が訴外法人を離脱して後、渡辺鉄之助が事実上主管者として振る舞つているに過ぎす、かりに同人が訴外法人から主管者の免許を受けているとしても、離脱の前後では実体が異なるもので、被控訴教会は本件家屋所有権の帰属主体となりえないから、その請求は失当である。

(被控訴代理人主張)

控訴人の右主張中被控訴人の従前の主張に反する部分は否認する。合併により承継を生じたことおよび合併につき準拠すべき規定がなかつたことについての主張を撤回するのは、自白の撤回であるから、異議がある。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、控訴人らは、当審に至つて、原審口頭弁論においてなした主張の変更を含む新主張をなしているので、まずこれら新主張について判断した上で、被控訴人の請求の当否、従つて控訴人の本件控訴の当否に及ぶこととする。

二、控訴人らは、当審において、中教会は、訴外法人離脱後、他の三教会を吸収合併し、後に法人格を取得して控訴法人となつたもので、その実体は同一であるから、中教会が先に贈与によつて取得していた本件建物所有権は、そのまま控訴法人の所有権というべきであると主張するのであるが、原審においては、中教会は、訴外法人離脱後解散して他の三教会と合併し控訴法人が新設されたので、その間に権利承継があつたものであると主張しており、被控訴人側も、その事実主張を前提として、合併につき準拠すべき規則の如何につき論するところがあつたのである、新旧の主張は権利承継の事実主張を要しない点でそれだけ控訴人側に有利であるから、この主張変更は、控訴人らにとつて自白の撤回にあたるものというべきである。また合併について、控訴人らは、当時これを信徒総代会のみでなしうる中教会規則が存在しているが、これも、原審でこのような規則がなかつたと陳述し、被控訴人側がこれを前提として所論を展開したことに照らし、自白の撤回である。そして、被控訴代理人は、この自白の撤回に異議を述べているのであるから、控訴人らの旧主張が事実に反し錯誤に基くことが明らかとならぬ限り、新主張を許すべきものでない。

よつて、この点を案するに、右新主張に添う証拠文書として控訴人らの提出する乙第一六号ないし第一八号証については、それぞれ次のような疑いが生じるので、採つて以て心証の根拠となしえない、すなわち、乙第一六号証は、エンピツ書きのメモであつて、当審における控訴人麻生本人の供述により同人の作成にかかるものと認められるが、その主張のとおり昭和二四年一〇月一七日当時に作成せられたものであるかどうかは、右供述のみでは必すしも心証を惹き難く、むしろ、逆に、このように「吸収合併」という表現を使用した文書が当時から控訴人らの手許に存していたのなら、何故に、控訴人は、原審において、この有利な文書を無視して新設合併という不利な主張―それが一部敗訴の主たる理由ともなつた―したのか、との疑問を禁じえないのであつて、吸収合併ということが控訴審で主張せられるに至つて後作成されたのではないか、と疑えないこともないのである。乙第一七号証は、控訴人らの主張自体によるも、麻生自身が控訴後である昭和三六年に至つて遠く十数年前の条文を記憶に基いて作成したものだというのであつて、メモもなしに正確に復元しうるには余りに長年月であり、また内容の信憑性についても、原判決が、合併解散に関する規則の欠如から民法の条文を適用したのに対するかかる適確な反撃の文書が控訴審に至つて突如作成されたという事情を無視できない。乙第一八号証は、その作成日時は昭和三五年六月一〇日と記載されているが、内容は昭和二四年一〇月一七日の信徒総代会の議事内容に関するものであつて、右両証に対すると同様の疑念を払拭することができない。他方これら文書の成立およびその内容事項についての証人・本人の供述を見るに、作成者である麻生本人の供述以外には、当審証人長谷川正司が乙第一六号証および乙第一八号について、当審証人吉田小一郎が乙第一六号ないし第一八号証について、それぞれ控訴人らの主張に合する供述をしているのが見当るが、麻生本人の供述も両証人の証言も、原審におけるそれぞれの供述の内容や弁論の全趣旨に照らすと、必すしも措信できない。その他右の新主張事実を肯認するに足る証拠はなく、結局、吸収合併および中教会規則の存在という控訴人の新主張は、これを認めることができす、従つて、前示自白の撤回は、自白が事実に反するという要件に欠けることになるので、これを許すことができない。

三、よつて、右の二点については、原審における解散・新設合併・権利承継の主張および合併については規則なしとの主張を控訴人らの主張と見て、以下の判断を進めることとする。

控訴人らは、合併に先立つ離脱の意思表示につき信教の自由を云々している。しかし、信数の自由とは、高度に個人的なものであつて、本件における如きある教派の下部組織体の教派からの離脱という場面において、その構成員個々の信条の不羈を意味するのは格別、下部組織体自身の動向を根拠づけるものではない、と解されるから、この主張は採用できない。

また、控訴人らは、合併の決議が信徒総代会のみでなされたことにつき、慣習法ないし事実たる慣習を云々するのであるが、その提出にかかる証拠から窺知しうるのは、せいぜい、中教会が本件合併の問題に逢着する以前においては、各種の事項につき信徒総代会において意思決定がなされていた、という事実にとどまり、社団としての存立にかかわる事項については本件の問題以前にはその例がないのであるから、本件におけるような合併等の事項について控訴人らの主張する如き慣習的事実が存したとは到底認められない。

四、控訴人らの当審における新規の主張は、予備的主張(前記事実摘示(四)、これについては後段において判断する。)を除いて、すべて認めることができない。従つて、被控訴人の請求に対する控訴人らの反対主張は、右予備的主張を除けば、原判決事実摘示のとおりの原審における主張に尽きることになるから、以下これを前提として考察する。

被控訴教会の性質、主管者の存在(原判決理由一)、本件建物がもと訴外黒沢千作の所有に属し、後、訴外清次郎を経て、訴外法人と被包括関係にあつた中教会の所有に帰したこと(同二(一))、中教会が他教会との合併により消滅し、本件建物所有権が控訴法人に承継されたということはなく、中教会は依然存続して本件建物を所有しているものであること(同二(二))、中教会は控訴法人の成立に影響を受けず存続していること(同二(三))、以上の諸点についての当裁判所の判断は、原審のそれと同一であつて、当審提出の証拠を斟しても変更の要を認めない。よつて右括弧内に注記した原判決理由各段の記載を引用する。

控訴人らは、当審において、被控訴教会とは実体を異にし、本件建物所有権の主体でないと、予備的主張をしているが、控訴法人と中教会とは実体が同一であるとの吸収合併を前提とする新主張を採用しえないこと先に判示した(二節末尾)とおりであり、他方、控訴法人の成立にもかかわらす中教会の本件建物所有権が存続していると認むべきこと前段判示(原判決理由二(二)(三)引用部分)のとおりである以上、控訴人らの右主張を採用することができないことは、いうまでもない。認定の事実関係からは、中教会と被控訴教会との実体の同一を論結せざるをえないからである。

五、よつて、被控訴教会が本件建物を所有しているものとして、以下の判断を進める。

控訴法人および控訴人麻生の本件建物部分占有ならびに本件建物についての被控訴人主張の各登記の存在については、当裁判所の判断は、原審と同じであるから、原判決理由第三節の記載を引用する。

そうすると、被控訴人の本訴請求中、控訴人らに対し本件建物部分の明渡を求める部分および控訴法人に対し本件建物につき控訴法人のためなされている所有権保存登記の抹消登記手続を求める部分はいずれも理由があるから、これを認容すべきである。しかし、控訴法人に対し、本件建物につき控訴法人のためなされている礼拝用建物登記の抹消登記手続を求める部分は、原判決理由第四節記載と同様の理由で、法律上の利益がないとすべきものであるから、右限度で右記載を引用する。

六、訴請求中、右明渡および所有権保存登記抹消を求める部分を認容した原判決は正当であつて、控訴は理由がないから、これを棄却すべきである。礼拝用建物登記の抹消を求める部分は、利益なしとして訴を却下すべきであるから、漫然請求を棄却した原判決は失当であるが、これについては当事者のいずれからも控訴がないので、不問に付することとする。よつて、訴訟費用については、民事訴訟法第九五条・第八九条に従い、主文のとおり判決する。

札幌高等裁判所第四部

裁判長裁判官 川 井 立 夫

裁判官 臼 居 直 道

裁判官 倉 田 卓 次

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例